
どうも、しいたけ夫(@shiitakeo0326)です。
営業という仕事柄色んな世代の人とお話する良い機会をいただいているのですが、今の中高年の方たちは自慢話が多いような気がします。
いつの時代も中高年は自慢をするのか?
今までのことで言えばYES、これから未来のことを含めればNOかと思います。今までの時代は男はガツガツして男気見せて、それがかっこいいとされていた時代でした。
今がそうではないというわけではありませんが、その傾向は薄れつつあると思います。昔は男が稼いできて家を金銭面で支え、女性が家事をして中から家を支えることが一般的でした。
そんな中男の存在価値というのはお金を稼いできてなんぼ、他から男という柱を元に外部からの圧力を防ぐことでした。(全てがそうではないことは冒頭で断っています)
そうなると自分を大きく見せるために、俺はこんなことをした。こんな悪いことをした。と良いこと悪いこと自慢げに話して今の時代を生き抜く姿勢が見えます。
但し現代の家庭に置き換えると一概にそうであるとは言い切れません。現代では女性の社会進出もかなり進んでいますし、昔に比べて日本も安全な国になっています。
そうなると現代の男の価値というのは「お金を稼ぐ」、「他から家を守る」というところが全てではないように思えるのです。
未来のことを含めればNOと言ったのは、現代の若者(10-20代)は比較的、男の存在価値というのがお金を稼ぐ・他から家を守るというところではなく、何か他の部分にある気がしています。
そうなると自分が中高年になった時にその自慢話が本当に自慢話になるかと言われると答えはハテナです。あえて自慢話のようにする人はいないのではないかと思います。
それに今の若者は比較的、上司や中高年の他人の自慢話にうんざりしている傾向が強いです。
時代背景から考察する自慢話が多い人の特徴
「仕事人間」という言葉があるように、家庭を顧みず仕事に没頭する人が日本には多い傾向にありました。今でこそ働き方改革、アフター5の充実…と話が上がっていることから少なくなってきているとは思います。
その中でも働き方が確立されておらず、残業・休日出勤・接待などを繰り返し行ってきた今の中高年の方たちは人間の奥底にある「承認欲求」をそこで満たしている可能性が高いです。
承認欲求の満たし方は人それぞれですが、仕事が男の第一であると考えられていた時代はオン/オフもなく全て仕事だったと聞きました。
そうなると自分の家庭での価値とか、生きている価値を見出すところは「仕事」であると想定できるわけです。
その承認欲求を満たすため、自慢話をしているのです。
では何故今ではなく、過去の栄光を語りたがるのか?
今ではなく、過去の栄光を語る理由
バブル時代の栄光
バブルの時代は、時代が引っ張って好景気が続いていました。しいたけ夫はバブルが終わった時ぐらいに生まれたのでその時代のことは分かりません。
しかし今の中高年の方にその話を聞くと、「正直仕事が余っていて、誰でも稼げる時代だった」と語ります。裏を返せば「仕事が出来なくても、稼げた(仕事が出来る人になれた気でいた)」と言い替えれます。
過去はそういった栄光を語ることが「バブルの時代」という時代に引っ張ってもらった結果あったのですが、今はその時代が引っ張ることがないので昔のことしか自慢できることがないのだと思います。
昔はそれが普通だった
冒頭の方で話をしましたが、昔はそういってガツガツして、これだけすごいことしたぞっと自慢してお互いに切磋琢磨し、競争して高め合うのが常でした。
今でもそういう精神が必要だとは思いますが、自分も含めそのようなガツガツさに欠ける人間が多いです。生きていけて、それなりの生活出来ればといいや…と。さとり世代と言われるのはそういうことなのでしょうか。
そうなると今の中高年の方がまだ若かった時、先輩や当時の中高年の方からそういう話を聞いて、ナニクソと思って負けん気満々で頑張った経験があるからこそ、今の僕ら若者にそれを押し付けているのです。
競争心を煽る意味の他、当時の中高年の自慢話に対して憧れを抱いていたことも想定できます。自慢話を聞いて、
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今の中高年の自慢話が多い理由をまとめると、

それではまた!